知の考古学 byフーコー

2010年9月10日金曜日 時刻: 0:41
ミシェル・フーコー(1926年10月15日 - 1984年6月25日)

これまでの歴史研究は、絶対優位性を持つ人間が歴史をつくっているという認識。
出来事や言説を分析することが中心で、断片的な要素そのものの分析。
資料から出来事や価値観などを取り出し、解釈しているだけ。
→ 特定の人間が歴史をつくり上げているのではない。

本当に歴史研究で必要なことは、ある発言行為が生じることとなった背景にある、
無意識的社会構造(資料集成・アルシーブ)を明らかにしていくこと(考古学=アルケオロジー)が重要。

一つの事象についての総体した考え(言説=ディスクール)は、
具体的な発言行為(言表=エノンセ)の蓄積によってつくり上げられる。

同じ発言内容であっても、ある社会における出来事や発言は、
その社会関係や環境など、さまざまなものが働きかけて形成されている。

考古学では、同じ遺物であっても、どの地層に含まれているかによって、
それが持つ意味がが変わってくるように、

「歴史は背景にある社会構造こそ重要」
 

存在と無 byサルトル

時刻: 0:03
ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル(1905年6月21日 - 1980年4月15日)

人間の条件、人間とモノの違いとは何か?
=「こうあるべき」という本質や自己意識があるかないか。

モノは、ナイフであれば[切る道具]、コップであれば[飲む道具]といった本質があり、
実存(現実に存在)している。

しかし、人間には「こうあるべき」といった本質は存在しない。
本質より先に存在してしまっている。

人間は意識を持って自分と向かい合い、
モノの存在を問題とすることで存在している(対自存在)。
人間とは存在の根拠も方向性もない存在。

↑それゆえに↓

現実を超えて考えをめぐらし、自分の行動を選択するなどの、超越性を持つことになる。
人間は自分が何者なのか、どうなりたいのかを、他に頼らず自らつくり上げていく必要がある。

そのものだけで存在し、自己意識を必要としないモノ(即時存在)との違いである。


自由に行動できると言っても、その行動には責任がつきまとってくる。
本質が先立つモノは、責任を持つことなく存在することができるが、
本質がない人間は、行動のすべてに責任を負うことになる。

「人間は自由の刑に処されている」

自ら行動し、社会に参加する状況に身を置くことは、
自分だけではなく、周囲の人々、すべての人類にも影響を与える。
根拠も方向性もなく自由である人間は、自分の行動に責任を持って生きていく必要がある。
 


存在と時間 byハイデガー

2010年9月9日木曜日 時刻: 23:35
マルティン・ハイデッガー(1889年9月26日 - 1976年5月26日)

「存在するとはどういうことか?」

伝統的な哲学では[人間とはどういう存在なのか]という、存在についての考察が繰り広げられてきた。
しかし、[存在する][ある]という、[存在そのもの]についての考察がなされてこなかった。

「存在者」
存在と存在するものを区別するための用語。
限定した表現をすると[モノ]、広義では[人間]も含む。

存在者はそのものだけで存在するわけではない。
人間が存在者を意識し、意味を与えることで、意識の中で存在となる。
無数のコップの中に、思い出のコップがあれば、
他のコップは目に入らなくなるように、意識しなければ存在はなくなる。

存在 = 人間の関心(気遣い)

人間は、存在が現れる場所という意味で「現存在」と呼ばれるが、
存在者に意味を与える一方、存在者が集合した世界から影響を受け、
関わりあって存在しているという意味で「世界内存在」とも言える。

しかし、存在者に対して無関心で、落ち着きなく関心を移し、
不安から逃れようとする人間が増えてきている。

↑その原因は↓

[生きる意味を喪失]
いずれ自分が死ぬことをきちんと認識できず、自分の死を他人事とみなし目を背ける。
そのため、生きる意味を失っている。

「生きる意味を知るために必要なことは、自分の死を自覚すること」

自分の存在の有限性を知ることで、残された時間でやるべきことを理解でき、
人間が意味のあるものになる。
 

精神分析入門 byフロイト

時刻: 22:39
ジークムント・フロイト(1856年5月6日 - 1939年9月23日)

「本人も知らない無意識が人を動かす」

人間の心には無意識という、本人が知らない自らの欲望・願望・意図が存在する。
その多くは性的願望によって占められており、すでに乳幼児期の段階で発生している。

無意識は、普段の生活で自覚されないまま抑圧されているが、
それが抑えきれなくなると溢れ出し、さまざまな症状や行動として表れてくる。
しかし、そのままの形ではなく、何らかの抵抗を受けた形で出現する。

[錯誤行為]
注意力が散漫になっていたわけでも、忙しかったわけでもないのに、
言い違いや聞き違い、もの忘れをする場合がある。

無意識に反する行為をやらざるを得ない場合に、心が抵抗している。

[夢]
自分でも意味のわからない夢や、普段の状況や行動では考えられない夢。

無意識が夢に表れてくるときに、そのままの形で表れるわけではない。
無意識の欲望や願望は、夢の検閲と呼ばれる抵抗によって、内容が歪められて認識される。

[自我]
自我によって無意識に抵抗をかける。
社会生活を送るために、やりたいことを我慢したり、社会認識を押し付けられたりする。
そのため、無意識をそのまま行動に移せないので、自分自身を調整して生活している。

強迫神経症やマザコンやファザコンといった形で、無意識が神経症を引き起こすこともある。

人間の行動には無意識が大きく影響している。
 

ツァラトゥストラはかく語りき byニーチェ

時刻: 22:04
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844年10月15日 - 1900年8月25日)

神に代わる理想の人間像「超人」を描いた。

[ニーチェ以前の伝統的な思想]
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人々は、神などの超越的価値を信仰
→ 神は「いる」

哲学者は、主張こそ異なるが、真理に達することが目標ということは共通
→ 真理は「ある」
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そのため↓
「自分は不幸だが、最後の審判で救われる」と人々は信じ、
「自分が失敗したのではなく、他人が真理を理解していないだけ」と哲学者は考えた。

そうなると、失敗した者が成功した者をねたむ(ルサンチマン)ようになり、
人々が今の生き方を否定するようになった。

「神は死んだ」
神・真理・イデアなど、これまでの社会の生きる土台は本当は存在しなかった。

絶対的なものが何もない = ニヒリズム

人々は、土台を失い、危機的な状況に陥ってしまった。

ニヒリズムの究極の形式 = 「永劫回帰」に陥る

「永劫回帰」
歴史に目的や方向があることを否定
→全ての存在が何度も同じ順番で繰り返される。
→失敗も成功も、全く同じ人生が繰り返される。

永劫回帰である以上、失敗も繰り返されるため、人々は辛く苦しくとも、
現実から目を背けず、ニヒリズムを克服しなければならない。

現実のすべてを肯定し(運命愛)、自分自身に誠実で力強く生きることが大切。

↑そのためには↓

自分自身をより成長させようとする「力への意志」が必要となる。

「超人」= 主人公ツァラトゥストラ
神や真理など従来の価値に代わり、力への意志を体現した人間の超克された姿。


*本書から引用された有名な言葉:
「神は死んだ」
 

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