日本書紀 卷第三

2011年1月29日土曜日 時刻: 17:19
【日本書紀 卷第三 神武天皇 即位前紀 己末年三月 原文】

三月辛酉朔丁卯 下令曰 自我東征 於六年矣 頼以皇天之威 凶徒就戮 雖邊土未清 餘妖尚梗 而中洲之地 無復風塵 誠宜恢廓皇都 規大壯 而今運屬屯蒙 民心朴素 巣棲穴住 習俗惟常 夫大人立制 義必隨時 苟有利民 何妨聖造 且當披拂山林 經營宮室 而恭臨寶位 以鎭元元 上則答乾靈授國之德 下則弘皇孫養正之心 然後 兼六合以開都 掩八紘而爲宇 不亦可乎 觀夫畝傍山(畝傍山 此云宇禰縻夜摩) 東南橿原地者 蓋國之墺區乎 可治之 ◎是月 即命有司 經始帝宅

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三月(やよい)辛酉(かのとのとり)朔丁卯(ついたちひのとうのひ)〔BC662.03.07〕、令(みことのり)を下して曰(のたま)はく、「我(われ)、東(ひむがしのかた)を征(う)ちしより、茲(ここ)に六年(むとせ)たり。頼(こうぶ)るに皇天(あまつかみ)之威(いきおい)を以て、凶徒(あた)就戮(ころ)す。邊(ほとり)の土(くに)未(いま)だ清(しず)まらず、餘(のこり)の妖(わざわい)、尚(なお)梗(あれたり)と雖(いえど)も、中洲之地(うちつくに)、復(ま)た風塵(さわぎ)無し。誠に宜(ろよ)しく皇都(みやこ)を恢(ひら)き廓(ひろ)めて、大壯(おおとの)を規(はか)り慕(つく)るべし。而(しか)るに今、運(よ)、屯蒙(わかくくらし)に屬(あ)ひて、民(おおみたから)の心朴素(すなお)なり。巣に棲(す)み穴に住み、習俗(しわざ)、惟常(かんながらのつね)たり。夫(そ)れ大人(ひじり)、制(のり)を立て、義(ことわり)、必ず時に隨(したが)ふ。苟(いやし)くも、民(たみ)に利有(かが)らば、何ぞ聖(ひじり)の造(わざ)に妨(たが)はむ。且(かつ)當(まさ)に山林を披(ひら)き拂(はら)ひ、宮室(おおみや)を經營(おさめつく)りて、恭(つつし)みて寶位(たかみくら)に臨(のぞ)み、以て元元(おおみたから)を鎭むべし。上(かみ)は則(すなわ)ち乾靈(あまつかみ)の國(くに)を授(さづく)之德(みうつくしび)に答へ、下(しも)は則ち、皇孫(すめみま)の正(ただしきみち)を養(やしなう)之心(みこころ)を弘(ひろ)めむ。然(しか)る後、六合(くにのうち)を兼ねて以て都(みやこ)を開き、八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と爲(な)す、亦(また)た可(よろし)からず乎(や)。觀(み)れば、夫(か)の畝傍山(うねびやま)の東南(たつみのすみ)の橿原(かしはら)の地は、蓋(けだ)し國(くに)之墺區(もなかのくらし)乎(か)、之(これ)を治(おさむる)る可(べ)し」と曰(のたまう)。
是の月に 即(すなわ)ち有司(つかさ)に命(みことのり)し、帝宅(みやこ)を經(つく)り始(は)じむ。

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磐余彦尊(いわれひこのみこと)は3月7日に詔して言った。
我々が東征に出てから六年が経った。天神の御威光のおかげで、凶徒は制圧することが出来た。
しかし周辺の地はまだ平定されたわけではない。残りの災いはなお多いが内州(うちつくに)では騒ぐ者もない。
皇都(みやこ)をひらきひろめて御殿を造ろう。いま世の中はまだ開けていないが、民の心は素直である。
人々は巣に住んだり穴に住んだり、未開の野蛮な風習が変わらずある。
そもそも聖人が制(のり)を立てて、道理が正しく行われる。人民の利益となるならば、どんなことでも聖人が行うものといって間違いない。
今、山林を切り開き宮室を造って謹んで尊い位について人民を安ずことが聖人のなすべきことだ。
上は天神の国を任せて下さった御恩に答え、下は皇孫の正義を育てられた心を広めよう。

その後国中を一つにして都を開き、天下を一つの家とすることは素晴らしいことではないか。

見ればかの畝傍山(うねびやま)の東西の橿原の地は、思うに国の真中(もなか)だろう。ここに都を造ろう。
そしてこの月、役人に命じて都造りに着手した。

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