存在と時間 byハイデガー

2010年9月9日木曜日 時刻: 23:35
マルティン・ハイデッガー(1889年9月26日 - 1976年5月26日)

「存在するとはどういうことか?」

伝統的な哲学では[人間とはどういう存在なのか]という、存在についての考察が繰り広げられてきた。
しかし、[存在する][ある]という、[存在そのもの]についての考察がなされてこなかった。

「存在者」
存在と存在するものを区別するための用語。
限定した表現をすると[モノ]、広義では[人間]も含む。

存在者はそのものだけで存在するわけではない。
人間が存在者を意識し、意味を与えることで、意識の中で存在となる。
無数のコップの中に、思い出のコップがあれば、
他のコップは目に入らなくなるように、意識しなければ存在はなくなる。

存在 = 人間の関心(気遣い)

人間は、存在が現れる場所という意味で「現存在」と呼ばれるが、
存在者に意味を与える一方、存在者が集合した世界から影響を受け、
関わりあって存在しているという意味で「世界内存在」とも言える。

しかし、存在者に対して無関心で、落ち着きなく関心を移し、
不安から逃れようとする人間が増えてきている。

↑その原因は↓

[生きる意味を喪失]
いずれ自分が死ぬことをきちんと認識できず、自分の死を他人事とみなし目を背ける。
そのため、生きる意味を失っている。

「生きる意味を知るために必要なことは、自分の死を自覚すること」

自分の存在の有限性を知ることで、残された時間でやるべきことを理解でき、
人間が意味のあるものになる。
 

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